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MI. 6のスパイに抜擢された英文豪モームの一生 ニュース記事に関連したブログ

2010/10/23 18:34

 

丸裸にされた実在のスパイ、日本でも英語教材として親しまれるサマーセットモームは、父親が英国の駐仏外交官(大使館付き弁護士)を勤める両親の一人息子としてフランスで生まれたが、幼くして父(顔も覚えていない)を、ついで母を亡くした(6歳頃)後、英国のロンドン郊外で牧師をしていた叔父夫婦に引き取られる。躾や思想教育に非常に厳格だった冷酷な叔父のもとで、内面的に酷く反感を感じながら育ったモームは、やがて強烈な身体的劣等感を抱くようになった。
叔父の指図で神学校コースに入ったモームは、献身的な妻に対して酷く横暴で傲慢、かつ冷酷であった叔父を見て育った為、その叔父の説くキリスト教には到底なじむ事もキリストの愛を信じる事もできなかった。モームはそのため叔父の反対を押し切って神学コースを退学、退学後はかねてからの憧れであったパリに行ってモンパルナスの美術学校で絵画を学んだり、ドイツに行ってハイデルベルグ大学で学んだりと、いろんな事にトライした(叔父の下での生活費や海外での遊学資金はすべて親の残してくれた僅かな遺産だけでやり繰りし、叔父の支援はなかった)。
やがて、それらの才能が自分にはない、と悟ったモームであったが、持ってうまれた才能は流石に隠せず、帰国後 一時的に法律事務所で働いたりしたが、期せずしてロンドンの医学校に入り卒業して医師となった。しかしモームが医師として働いたのはインターンを勤め上げて医師になるまでであった。彼は、学生時代から少しずつ書き始めやがて自信を持つに至った劇作家として、身を立てる道を選んだのである。

彼がイギリス情報部国外部門M.I. 6(ミリタリーインフォメーション、セクション6)から、諜報部員にならないかと秘密裏に誘いが掛かったのは、劇作家として名を挙げた、ちょうどその頃である。父が外交官だったという身の上も関係しているが、何よりも売れっ子の小説家という職業が、各国に行き来する際のスパイの隠れ蓑としては非常に都合が良かったからである。

モームが初期に主として活躍したのは各国のスパイが暗躍する都市として有名なスイスのジュネーブであった。ここでは、英国の有名劇作家としての身分で主に複数のスパイ達の統合役としての役割を担っていた。そこで彼は、自分の側の最末端(金銭で雇われた使い捨て。逮捕されても本部支援ゼロで全て自己責任)のスパイが実際に殺人などの凶悪犯罪を簡単に犯すのも見た。これは、モームが指示した訳ではない。

ジュネーブで所定の役割を果たしたモームが次に指令を受けたのは、第一次世界大戦中のロシアで、今まさに革命が起ころうとしていたモスクワに飛んで、その革命を阻止する役割の一つを成功させることであった。しかし時既に遅く、モームを始めスパイたちの画策は失敗して革命は起こる。時間的には前後するが、この工作までの間にモームは負傷し肺結核も再発した為、この仕事を退役する事となったのである。

モームは、肺結核を直すため本国のサナトリウムに入所し、紳士淑女(若くて美しい女性もいた)達と会話を楽しんだり人間観察をしながら短期間療養した後、障害や肺結核治癒後の後療養のため主としてホノルル(短期間)やタヒチ(長期)などのポリネシアの各地でしばらく暮らした。モームが長期療養地にタヒチを選んだのは、彼がパリの絵画学校で絵を学んでいた頃、パリの天才画家、ゴーギャンがパリでスキャンダルを起こした後、タヒチに隠遁して、そこで死ぬまで暮らした事に熱烈な興味を抱いたからであり、自らも自負する小説家として、そのゴーギャンの生涯を自分なりの小説(大作=月と6ペンス)に描きたかったからである。
この小説が世界中でブームとなると、もっと昔に出版したものの大戦勃発のため大して売れなかった、彼の半自叙伝でもある大作、人間の絆(きずな)やその他の短編も、飛ぶ様に売れモームは押しも押されぬ文豪としての地位を確立した。

晩年、彼はシンガポールに(ラッフルズホテル)住んで、バンコク(オリエンタルホテル)、インドシナ(カンボジアベトナムなど)で趣味と実益をかねて取材旅行をしながら題材を発掘、趣味で様々な短編小説に仕立て上げる(ただ、インドシナが舞台であると明らかにした小説は当時の欧米白人の興味を引き難く売れないので、数少ないが、舞台を敢てハワイとかタヒチ近辺の国に置き換えたと思われる短編は結構多い)、と言う生活様式を死ぬまで貫いた。

モームは酒もタバコも大好きだったが(ラッフルズホテルで創製され彼によって命名されたシンガポールスリングは有名)、肝硬変にも癌にもならず
        何と当時としては珍しい91歳!まで寿命を全うした。
もちろん強い節度を心得ていたからである。

一方、誰しも感心がある《 愛 》に関してはどうだったのか、、、、幼くして植え付けられた強烈な劣等感、それに加え、医学生から新医師時代にかけて熱烈に恋をした女性(いずれも卑しい階級出身の、低俗で淫らな女で、モームにふさわしい階級の女性がいなかった、これは度し難い劣等感のせいかも知れない)に、ほとほと心を傷つけられた苦い経験に由来する『女性不信』が邪魔をして、良い愛にはついぞ恵まれなかった。それが、モームの小説が我々の共感を呼ぶのかも知れない
以上 
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初期登録:27.09:'10
 

 

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